昨年の5月28日に母が死んで、まあ今年の6月頃まではなんとなく喪中なんですが、母が死亡する原因となった事故の日の事をいまだに思い出してなんにもする気が起こりません。
その事故のあった場所や死亡するまで入院していた病院が自宅の行動範囲内なので、余計に忘れられないんですよねー。
まあなんにもする気が起きなくても、太陽はのぼって沈んでを繰り返し、地球は自転するし公転もするし、暑かったり寒かったり風が吹いたり吹かなかったりで一年は過ぎていくわけですが、いったいどうすれば良いのでしょうか。
そういえば昨年の夏のはじめ、親戚の三回忌がありまして、日蓮宗のお坊さんが御経を読みに来てまして、「死の悲しみはたとえその事を受け入れたとしても何十年と続くかもしれないし、永遠に続くかもしれない」みたいな事をおっしゃってまして、だよなーとか思っちゃいました。
ちなみに私の親や親戚の政治宗教の志向はやたらバラバラでして、先の親戚は日蓮宗なのですが、創価学会の信者や共産党の党員や立憲民主党の支持者や参政党の支持者などバラエティに富んでまして、本当に血の繋がった者同士なのか!?と訝しげに思う時もありますが、そのせいかどんな宗教や政治の話でも、アレルギー反応を起こして否定や肯定する気にならないのはわりと恵まれた環境なのかもしれません。
あー、そういえば親戚に韓国の方もいるし、仕事で韓国人とバディを組んだこともあるので韓国へのアレルギーもないかなあ。
あと使ってる道具はコンピューターやカメラ、3Dプリンターなどは全て中国製なので、中国への尊敬も半端ないっすねー。
まあ私は元自衛官なので基本的に自民党というか右寄りなのですが、高校を卒業して入隊の時に、親も自衛官なのに警察官がわざわざ自宅に来て共産党員じゃないかどうか、というかそういう思想がないかどうかチェックしに来たのは今考えるとクーデター防止のためだとはいえやりすぎだよなあ、とか思います。
話がそれましたが、私と妻が出会ったのが私が26歳、妻が39の時でして、その翌年に病気の母を東京に呼んで面倒を見るようになり、まさかその後30年間も介護する事になるとは思ってなかったので本当に辛い毎日を過ごしていたわけです。
んでもって母が死んで妻と私と二人っきりになったわけなのですが、つまり私と妻が出会ってから母がいなかった時期は出会ったその年だけなので、純粋に二人っきりなのは実質まだ2年目なんですね。
変な話、今の状態は30年前にタイムスリップしたようなもんなんです。
母の介護をしていた時は、妻や近所に住んでいる妻の娘の家族には本当に、本当に迷惑をかけたので、これから一生をかけて恩返ししながら生きていくつもりです。
と書いていて思ったのですが、論語に「巧言令色鮮なし仁」という言葉がありますよね。
本当に恩返しするつもりなら、こんな事プログに書かないかなあ?
どうなんでしょうか。