昨日の9月20日に、有楽町のニッポン放送に行って、10月から始まるラジオ番組の収録をしてきました。
まだ何も言われてないのですが、公式で何も言ってないので、詳細はそのうちここに書きますね。
で、私は中央線ユーザーなので、神田で降りて山手線に乗り換え。
ホームで待っていると、北陸新幹線が繋がれた東北新幹線が、その長い長い車体をゆっくりと北へ向かって滑べらせていくのが見えます。
その優美な流線型を目で追っているうちに、私は瞬時に3月のある出来事を思い出しました。
そして、声を殺して泣きました。
私の家は社宅や賃貸住宅で、持ち家がありませんでした。
ですから「私の」実家はないのですが、お盆や正月には東北の世界遺産に登録された寺がある観光地の母方の実家に言って墓参りなどをしてました。
墓参りするために母方の実家に行くと言っても、新幹線で4万くらいかかるので気軽にはいけません。
それに、行ったところで母の親も施設に入っているので「健一、よく帰ってきたな、おせちでも食うか」とはならなくて、誰にも会わずにお墓の掃除をして線香を上げて帰ってくるだけです。
ああ、そういえばそのあたりではきれいな花菖蒲が育つので、行きがてらに買ってってお墓に供えたなあ。
父親の実家は同じく岩手県のスキー場の近くで、祖父の死とともに数十年前に取り壊され、全くの赤の他人の家になり、そこが私の本籍地だったため独身時代に国立市に転籍しました。
もともと父の親戚とはあまり付き合っていなかったため、2011年の父の死とともに縁も無くなりました。
つまり、私にとっての「ふるさと」は、世界遺産に登録された寺がある観光地だけだったわけです。
2016年、マツコに出た年に母の親も亡くなりました。滞りなく葬式も終わり、いよいよこちらも縁がなくなりましたが、墓参りに行く口実はあるので、そのうち母の親も入った墓にお参りに行かなければ、なんて考えていたら7年も経っていたんです。
今年の3月、ふとグーグルのストリートビューを見ると、母の実家のあるはずの住所が更地になっているです。
母の親戚に聞くと、「数年後に空き家の固定資産税が跳ね上がるので処分した」とのこと。
なくなっちゃったんです、ふるさとが。
室生犀星って詩人、ご存知でしょうか。
石川県金沢市出身の詩人です。
「小景異情」という詩を、小学校5年生の国語で習うと聞きました。
その「小景異情」が、今の私の心境なんです。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしやうらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐみ
その心もて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや